1200年前に弘法大師が開湯し、武田信玄公や昭和の文豪達が愛した厄除けの名湯

「法泉寺」悲劇の武将・武田勝頼の菩提寺

法泉寺 緑ヶ丘スポーツ公園の北に、法泉寺があります。南北朝時代に、武田家の祖、信武によって建てられたこの寺は、武田氏の保護が厚く、信玄公に至って甲府五山の一つに定められています。

甲府五山は、武田氏領国内の宗教的中心をなす寺院ですが、一方武田氏を守る砦の役目も果たしていたといわれています。境内には、本堂や庫裏など、江戸時代の建物が多く残されており、西方の一画には信武の墓と信玄公の後継者で悲劇の武将・勝頼の歯髪塚が並んであります。歯髪塚は、法泉寺の快岳宗悦和尚が、京都妙心寺で行われた勝頼の葬儀に参列して、歯髪の一部をもらいうけ、境内に埋葬したものと伝えられています。

湯にゆっくり浸かる間もないか~武田勝頼~
 天正九年三月、志摩の湯(現・山梨湯村温泉)へ湯治に出かけた勝頼のもとへ、連絡もとらずに信州小池村の百姓一行が押しかけてきたのである。 実は小池村の住人は以前から隣りあわせの内田山へ草を刈りに入っていたが、今回、内田山を領する桃井将監が立入禁止を打ち出した。桃井は近頃、勝頼からの恩賞の沙汰がなく手元不如意のために既成事実として認めていた小池村住人に対する「領内草刈り無料開放」を禁止したのである。

「入山料」をとろうとしたのだろうか。小池村では事態を重く見、訴訟を起こし、府中で決裁を依頼した。が、双方の主張は平行線のまま。決死の思いで村を出てきた百姓たちは思い余って、休暇中の勝頼を追いかけてきたのである。 武田家の奉行も頼りにならず、勝頼に直訴しようというわけだ。江戸時代であれば非合法として悪くいけば厳罰ものであるが、戦国の頃は領主とて百姓の大親分みたいなもの。遠慮というものがない。

武田勝頼「なんだ。おまえたちは!」 小池村「殿さま、内田山で草を刈らせてくださいませ」武田勝頼は湯治の真っ最中何も身にまとっていません、仕方なく事情も分からないまま小池村の言うことを承知したそうです。
これが武田家が滅亡する、ちょうど一年前のことであったそうです。

また、鬼の湯伝説に登場する多田三八とは多田満頼24将の一人に数えられる武将です。淡路守。信虎・信玄に仕え、信州虚空蔵山の守備をした時、火車鬼を退治した、という武勇伝を持ちます。おそらく火付け夜盗の類のことではないかと思われるが、そんな伝説が生まれるほどの剛の者だったのだのでしょう。

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