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 弘法大師が1200年前に開湯し、
 信玄公、昭和の文豪が愛した厄除けの名湯
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開湯伝説「鷲の湯」

 旅館明治の南となりに、共同浴場「鷲(わし)の湯」がありました。この名称は湯村温泉郷の次のような伝説からとったものです。

 最近まで町民に親しまれる公衆浴場として一般に開放されていましたが、惜しくも廃業となってしまいました。

鷲の湯伝説と鬼の湯伝説

 昔この辺りは、起伏した丘や沼地で、一面に萱草の生い茂った荒野でした。

 あるとき一羽の鷲がどこからともなく飛んできて、日に二、三度萱草の中に姿を隠し、やがてどこかへ飛び去りました。こんなことが七日ばかりも続いて、それからのちは、鷲はさっぱり姿を見せなくなりました。人々は不思議に思って、萱草の辺りを探して見ますと、かすかに白い湯気が立ち上るところがあったので、そこを掘り返すと、熱い湯がほとばしって湧き出しました。人々は喜んで湯小屋を建てて入浴してみますと、湯の温度もちょうどよい湯加減で、諸病に効くことがわかりました。

 病気の鷲が湯気につかり、全快して来なくなったことから、人たちはそこに温泉が湧くことを教えて貰ったわけで、この鷲は山の神様の現れであろうと、一社を建てて湯権現に祀り、その山を湯村山と名付けました。湯村には今でも「鷲の湯」という名前の古いお湯があります。

 江戸の旗本に多田三八という武士がありました。三八は湯村温泉の評判を聞いて、是非とも一度この温泉に入浴したいと思い、主人に暇を願い出て、はるばる甲府へ向かって旅立ちました。その途中天目山の麓を馬に乗って通ると、道端に一本の大木があり、その枝の上に何か怪物がいて、ものすごい声で、

 「三八!」

と叫びながら、恐ろしい腕をグッと延ばして三八の頭をつかみました。三八ももとより剛勇無双の勇士でしたから、少しも騒がず、心得たりと刀を抜いて頭上を切り払うと、丈八尺ばかりの天狗の翼を切り落としました。そこで怪物はギャーとものすごい叫び声をあげて、どこともなく逃げていきました。

 そのうちに、雨風の激しく吹き荒れる日に、一人の大法師がやって来て、三八と同じ宿屋へ泊まり、同じ湯槽に来て入りました。その法師の身体を見ますと、背中の辺りに余程大きな切り傷の痕があります。

 「まあ、大変な傷痕だけんど、坊さんはどうしてそんな怪我をしたでぇ。」

 傍らの人が尋ねますと、その法師は何気なく答えました。

 「これは前に多田三八という侍と、ちょっと戯れをして負った傷だ。それでこの湯へ入りに来たわけさ。」

 先から湯槽の隅の方で、この話を聞いていた三八は、近くにおいてあった大刀を引き寄せると、スックと立ち上がり、

 「多田三八ここにあり!」

と叫んで法師に斬りかかりました。法師もさるもの、飛鳥のように飛び上がって、スーッと風呂場を抜け出し、忽ち湯村山の方へ逃げ去りました。三八は抜刀のまま急いでその後を追ったけれども、ついに怪物を見失ってしまいました。

 多田家では、この天狗の翼を代々持ち伝えて、今でも、所蔵しているといわれ、またそれ以来、この湯を「鬼の湯」と呼ぶようになったということです。

 鷲の湯も鬼の湯も、湯村の湯の中では、ともに古いお湯だといわれています。

 

※ここで登場する江戸の旗本多田三八というのは、武田24将の多田三八(満頼)のことであると思われます。途中の聞き伝え・言い伝えで変わったのでしょう。

 
 
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